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YES ! I CAN

 オバマが圧勝した。4日は夕方からテレビを着けっぱなし状態で、キッカリ深夜3時まで釘付けになった。勝つ予想はしていたが「でも案外、ひょっとして……、前回の例もあるしなあ……」と思うところもあって、画面から目が離せないでいた。午後11時18分。早々にマケインがアリゾナ州フェニックスの陣営で敗北宣言をした時点で「やったんだあ〜。アメリカ……やるなあ」と、オバマ氏曰く「合衆国民」でも無いのに、これからのアメリカへ、期待感が膨らんだ——。
 15年間、選挙権が無いまま、3度目の大統領選挙を味わった。オバマ次期大統領については今から遡ること617日前に、2007年2月23日号(vol.139)の特集で紹介した。多分、日本のメディアとしては幣紙が最初だろうと、ちょっと誇らし気に思っている。1916年生まれ、47歳のアメリカ大統領の誕生である。なんと年下だ。それに比べて、一体、私は何をしてるんだろうか……と、比べるのも烏滸がましい限りだが、つくづくそう思う。
 今、引っ越しの荷物作りに追われる日々を送っている。たかが15年、されど15年。荷物の1つ1つに想い出がある。私は遅まきながら36歳で渡米した。日本は終身雇用で離婚後でも安泰。このままズルズル勤めてさえいれば、毎月、給料は保証されているし、多少なりとも豊かな老後も待っている……そう思わなかったか?と問われれば、YES THAT'S RIGHTと答えただろう。その通りだ。それまで働いていた大手と言われる巨大メディアを辞めて「学生になってイチから勉強しよう」「40歳まではアメリカで頑張る」と意気込んでいたものの、損得勘定は何度もしたし、未練タラタラだった。離婚2年後、突然今度は「退職して渡米する」と言い出した娘のワガママを快諾してくれた両親、実際は心中キツかっただろう。そんな色んなシガラミを引きずったまま、ここニューヨークでズルズルと暮らして来た。振り返ると、本当に色んなことがあった。マグカップ1つ、ショッピング・バッグ1枚でさえ、すべてに想い出がある。YES !  I CAN_f0055491_6254436.jpg
 昭和1ケタ生まれの両親を持つ私は「勿体ない」と、何でも捨てずに溜めるクセがある。クローゼットを掃除すると、出てくる出てくる紙製のショッピング・バッグや、きちんと折り畳まれた包装紙の山。何でこんなモンまで溜めていたんだろう?と苦笑しながら処分する。しかし、それらには懐かしいニューヨークの移り変わりが走馬灯のように見てとれる資料にもなっている。
「GALERIES LAFAYETTE」(ギャラリー・ラファイエット=写真)。そういや、このフランスから進出しているデパートで、生まれて初めて「CLARINS」(クラランス)の基礎化粧品類を買った。日本では高価だったし、アメリカなら尚更「Clinique」(クリニーク)でも買っておけ!的な感じだったから、ちょっと気位の高いギャラリー・ラファイエットで買うことへのステイタスも、少なからず感じていた。あの場所……、ナイキタウンになってから、もうどのくらい経つのだろう。
 7月から9月にかけて、最後の追い込みとばかり日本からの来客が相次いだ。久しぶりにブラブラと付き合いがてらショッピングに出かけ「何でもお任せください」とニューヨーカー気分で得意気に友人を案内するも、店の前まで来て「えっ?何年か前まで確かにあった…ハズ」とバツの悪い思いを何度もした。行く先々の店が消えているのである。それも1軒2軒の騒ぎではないので「歳とってボケたんじゃない?」と思われはしないかと、胸中穏やかではなかった。
 様子見に、会社へ休暇届けを出して日本から来てくれた友人皆に「グリーンカードも放棄するつもりで本腰を入れて帰国する」と話すと、100%「えっ?勿体ない!それは止めた方がいい。ニッポンは益々住みにくいし、絶対に後悔するから、キープしといた方がいい」と返ってくる。さらに「日本はマジ不況で嫌な事件ばっかりだし、仕事なんてとてもとても。組織も昔みたいに面白くもないし、その歳じゃ、まずムリ!ましてやフリーランスなんて、どーにも、こーにも。このご時勢だからねえ……」とネガティブ反応ばかりだ。日本を出た時もそうだった。「勿体ない」と、誰1人、決断に賛成してくれた人はいなかった。ニューヨークを離れる時もまた「勿体ない」を繰り返される。15年ぶりに、当然、損得勘定が作動する。もちろん未練もタラタラだ。しかし今、これらの迷いをスパッと断ち切るかのように、なり振り構わずドンドン捨てていっている。
 50代になって、再度スゴイ賭けに出る。本来なら、そろそろ老後を気にしつつ、穏やかな余生の在り方などを検討していたであろう年代だ。今まで好きに生きてきた分、そのツケは大きい。貯金もなし崩しに無くなり、一文無しの状態で始める哀しい50代を、誰が想像できただろう。「YES! I CAN」。イチかバチか、やるしかない。
2008年11月14日号(vol.178)掲載
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# by sgraphics | 2008-11-13 07:15 | エッセイ

October, 31. 2008 vol.177

October, 31. 2008  vol.177_f0055491_10105064.jpg

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vol.177/表紙「甘く危険なチョコ」
2008年10月31日号(vol.177)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-31 10:28 | バックナンバー

どこか、間違ってやしないか——。

 今の日本の若い人たちは、所、相手など構わず(選ばず)、絵文字を多用(乱用)しているのだろうか——。
 ここ最近、日本の物件探しで、大手、弱小を問わず、アチコチの不動産斡旋業者とeメールを交わしている。しかし返ってくるメールの大半は「絵文字」付きである。
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先日はお問い合わせいただきまして有難う御座いましたm(----)m
この度は物件お問い合わせ頂き、ありがとうございますっ(=゜ω゜)ノ
この時期は良い物件、安い物件から無くなるのが現状です(>_<)
お問合せ頂いた物件、現在1室のみ空きございます(^v^)
それでは、失礼致しますm(__)m
お待ち致しておりますっω_(゜゜ )//
何卒よろしくお願い致しますm(----)m
ぜひお早目のご来店をお勧めします(^?^)
ご質問、ご相談などお気軽にお問い合わせ下さい☆♪☆
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 感嘆符「!」は極当たり前で、音符「♪」や、星「☆」なども、句点「。」の変わりに用いられている。しかも、問い合わせに対して、取りあえずの礼の意を示す「ありがとうございます」の語尾や、来店を誘致するための「お待ちしております」などの語尾にも、小さな「っ」が入り「ありがとうございますっ、お待ち致しておりますっ」となる。これら営業メールでだ。もし、店頭を訪れて相談する場合、相手はタメ口なんだろうか。それとも客の年格好をみて即時判断するのだろうか。相手が見えないeメールでは「相手が希望する物件タイプや希望する場所」から大体の年齢を想定して、こういう馴れ馴れしい返答になるのだろうか。
 どこか、間違ってやしないか——。

 さらに、帰国するに当たって「ムービングセール」の告知をインターネットの掲示板でしてみた。すると意に反して、結構な問い合わせがあり、その際、不特定多数の見知らぬ人とのeメールのやり取り(時間と手間)もバカにならない。帰国後、再度購入しなくてはならないモノも多数あり、本当にバカバカしいが、それらを持って帰ろうとすると、引越し費用が1000ドル単位で嵩むため、荷物のほとんどが「引き取りに来て頂けるなら無料です」というものだ。また有料であったとしても1ドル、2ドル程度である。それでも引き取って貰うために数回、eメールでやり取りし、日時を決め、モノを1つ1つ丁寧に梱包して、その都度、階下まで降りて挨拶を交わして手渡す。大きいに荷物を運ぶ時は、わざわざコンシアージで「カート」を借りて運んだりと、力仕事でもある。引き取りに来られる全ての人に「どうせ捨ててしまうから」と何かオマケのプレゼントを付けている。しかし、言うところの「モンスターペアレンツ」的な人に出会うのだ。
 一体、どういう了見なのか、全くもって私には分からない。「貰ったお皿が少しカケていました。どうすればいいですか?」「折角、ミッドタウンまで行くので、ぜひ取りに行きたいです」……。この「折角」の意味が分からないし、無料で差し上げているモノに「どうしたらいいですか?」と問われても「お嫌ならどうぞ捨ててください」としか言いようがない。「無料なら引き取りに行ってでも欲しい」と仰るから……という理屈は、どうも通らないようだ。
 どこか、間違ってやしないか——。

 作家、故司馬遼太郎は「竜馬がゆく」などの作品を著した旨を、自身のエッセイ「なぜ小説を書くか」で次のように語っている。太平洋戦争で敗れた時、指導者の愚かさを痛感し「昔の日本人は、もう少しはマシだったのではないかとの思いから記した」と。今、この時勢だからこそ、国の行く末に危機感を抱いてペンを走らせた彼の思いがヒシヒシと伝わってくる。末期的な世界経済の低迷、将来不安がつのる毎日。戦争こそ経験してはいないが、指導者の愚かさを痛感することに変わりはない。昔の日本人は、もう少しはマシだったのではないか——。いつの世も「昔は……」がカギとなる。
 今、宮尾登美子原作のNHK大河ドラマ「篤姫」が人気だという。従来のリサーチからも、到底、大河ドラマには絶対ハマらないとされている10代や20代前半の女性たちが、トレンディドラマを観る感覚で大河ドラマに釘付けになっているらしい。「篤姫」は幕末から明治維新に至るまでの激動の時代を、女性の視点から捉えたストーリーで、フジテレビの十八番「大奥」シリーズの流れの影響で、同番組などの時代劇にもスッと入り込めたのだろう。何でも自分の目で確かめ、考え、何に対しても決して背を向けず、常に毅然と立ち向かう篤姫の凛々しい姿に、ひょっとするとアニメのヒーローを重ねているのかも知れない。
 しかし、世も末、何か、間違ってやしないか——。
2008年10月31日号(vol.177)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-31 10:27 | エッセイ

October, 17. 2008 vol.176

October, 17. 2008  vol.176_f0055491_895865.jpg

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vol.176/表紙「NEW MUSEUM」
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-18 08:17 | バックナンバー

ケータイ小説

 猫も杓子も「作家」を名乗りたがる——1億総作家の時代である。
 手軽にブログやネット上で日記を公表して、やれ忙しいだの、取材だ!撮影だ、と宣っているライター気取りの輩は、ごまんといる。
 よくもまあ、恥ずかし気もなく「作家」を名乗れるなあ、と感心するのだが、つい最近、作家大先生と言われる86歳なる御大の作品を、ネット上で、もちろん只で読んだ。それらは今流行の「ケータイ小説」なるものである。

「ケータイ小説」の始まりは、2000年に発表されたYoshiの「Deep Love」だという。そういや、こっちのフジテレビでもオンエアされていたドラマ「翼の折れた天使たち」に、Yoshiという名前があったなあ〜くらいの感覚である。
 Yoshiなる人物が、誰であるかすら知らないが、ケータイ生活に不慣れな在米者にとっては、所詮その程度だ。しかし、携帯サイトにアクセスすれば、誰でも手軽に発表でき、出版社の目に留まれば、次々と書籍化されて、今や100万部を突破するベストセラーも数あるらしい。
 いやはや自称「作家」だらけになっているのも、また真実であるようだ。生業(肩書き)のカテゴリー上「ケータイ小説家」があるということも頷ける。

 先日、ネット上のニュースで「瀬戸内寂聴さんがケータイ小説」という見出しを目にした途端、ちょっと興味が湧いてしまった。
 スターツ出版が運営するケータイ小説サイト「野いちご」で、正体を隠して密かにコギャルたちと交流を持っていらしたこと自体に驚いた。
 寂聴さん自身「私もこっそりケータイ小説を書いていました。わくわくしました」とコメントしている。
 う〜ん、それって、ちょっとイイな。そう思って読み始めた。

 ユーザネーム「ぱーぷる」さん
 会員番号「73865」
 性別「女」
 誕生日「さつきのころ」
 自己紹介「最近ケータイ小説はじめました ドキドキッ ヾ(=^▽^=)ノ 感想まってます」
 書いた小説「あしたの虹」

 その正体が明かされるまで、誰が、この「ぱーぷるさん」が、86歳の老婆だと気付くだろう。
 文体に「マジ」「ダサ」「ヤバイ」などギャル語らしき言葉も目立つし、ご丁寧に絵文字まで使ってある。ましてや瀬戸内文学とまで称された、あの瀬戸内寂聴だと誰が思うだろうか。
 私の世代では瀬戸内寂聴というより、まだ瀬戸内晴美の方が馴染みがあるし、まず「源氏物語」のイメージが思い浮かぶ。そう!これがヒントでもあったようだ。
 ユーザネームの「ぱーぷる」さんは紫式部であり、小説「あしたの虹」の主人公(ユーリ)が恋焦がれる相手の名前、ヒカルは、光源氏だったと……。

 この「あしたの虹」については、如何せん駄作だと、私は思う。
 陳腐な内容と展開、意外性のカケラもない。がしかし、若い娘たちにとっては、感動作に値するのだろうとの察しもつく。
 ケータイ小説とは、こうなんだ、と知ることにも繋がった。
「ぱーぷるさん」が設置されている感想ノートには「とっても感動出来ました。泣いてしまいました (;-;) 素敵なお話で、なにか心にジーンときます」などの文字がいっぱい踊っている。
 ごく普通の86歳のおばあちゃんたちは、孫と、こういう会話を望んでいるのかも知れない。健康器具や健康食品、あるいはご馳走などを頂くより、余程嬉しいプレゼントに違いないだろう。

 短く平易な文体。カタカナが多く、しかもギャル語。
 修飾語をトコトン省き、情景描写も、寒いのか暑いのか程度で、あまり必要ない。要は等身大の会話とカギ括弧で始まるセリフが命だ。
「ケータイ小説を書く」という縛りは、想像するより、かなりキツそうである。
 表示できる文字数が限定されることもあろうし、漢字が読めない、日本語を知らない世代が読んでくれる対象者であるから、今まで慣れ親しんできた文体からは、かけ離れた表現法にも苦労するだろうと思う。
 寂聴さんは、これらケータイ小説が「何故読まれているのかが知りたい」という気持ちから、絵文字も使って挑んだという。
 読者層はティーンの女性がほとんどだ。書き手と読み手が、同年代ゆえに共感を呼ぶのだろうか——。もし娘がいたなら……と思ってみても仕様がない。また、年代を偽ってマネて書いたとしても、必ずどこかで無理が生じるだろう。
 どの小説も、作家志望でもないごく普通の若者が書いているらしい。
 もちろん私も作家を名乗る気などない。しかし、このちょっと不思議な「ケータイ小説」の世界は、これからの余生の愉しみの1つとして覗いてみたい気がしている。

 ケータイ小説のメインとされる「恋愛小説」は、経験も極端に少ないことから最も苦手な分野である。が、ケータイ小説は、ワンパターンの筋書きだからこそ、逆にウケてる訳で、ヘタに小細工した意外性のある内容を、これら読者は求めてはいない。
 書き手も賛辞を欲しがってもいないし、単に、見知らぬ誰かに話を聞かせたいだけである。おこがましくも私が目指している大衆文学は、そうあるべきだと、そこから始まるんだと、私は思う。
 20数年、他人の文章を世に出すためだけに懸命に編集者としてやってきた。今更、気取って芥川賞でも直木賞でもない。
 イチから始める人生の再スタートに、この「ケータイ小説」は相応しい気がする。
 まずはケータイを購入して、絵文字も使える程度に学習し、漢字も慣習も一切除外して「書く事、書けることの楽しさ」を、もう一度味わってみよう——これが50歳、今の決意である。
2008年10月17日号(vol.176)掲載
# by sgraphics | 2008-10-18 08:16 | エッセイ