今日から3月。ニューヨークはまだまだ寒い。
こんな日は、特製の「白菜なべ」でも作ろうかな——。 ◇ 「う〜ん、できたら……、アノ白菜なべ……、食べたいなあ」 何度目かの帰国の際、10年ぶりに元亭主と電話で話し、私の実家で会うことになった。 オヤジはあまりイイ顔をしていなかったが、懐かしさもあって母と私は、何年かぶりに狭い台所に一緒に立ち、彼が電話でリクエストした我が家自慢の特製「白菜なべ」を、腕によりをかけて作った。 この「白菜なべ」とは鍋料理ではなく、いわば「白菜と肉だんごの煮物」である。このメニューは我が家に代々受け継がれた献立ではなく、いつの頃か母がどこかで仕入れたレシピで、私で二代目となる。 年老いた両親2人だけの今の生活に、このメニューがお膳に上ることはもうないというが、私はここニューヨークでも毎年冬になると何度かは作り、1人でボチボチ平らげ、たまたま遊びに来た人にも振る舞っている。そういや結婚していた時も、家に友達が集まるとなれば、よく白菜なべを作っていた。結構リクエストの多い、好評な献立であった。 簡単にレシピを言うと、白菜はまず洗ってヨコ5cm幅に切りそろえておくだけで手間はない。しかし、一緒に煮込む肉だんごがキーポイント。私は牛ミンチを使うが合挽でも構わない。まずボールにミンチ肉と1束分を千切りにした青ネギ、土生姜をすりおろしたもの、醤油、酒、玉子、片栗粉をいれてよく混ぜ合わせる。少しやわらかめに混ぜ合わさったら、スプーンを使って上手くダンゴ状にして、サラダ油でこんがり揚げ肉だんごを作る。どんどん肉だんごを揚げている間に、同時進行でフライパンに油をひいて、白菜を少しずつ、さっと炒めて大きなお鍋に移す。その上に次々揚った肉だんごを入れ、また白菜。と、白菜と肉だんごがレイヤー状になるようにドンドン積み重ねて弱火にかける。そこに市販のダシの素、醤油、砂糖、みりん、酒と、残った土生姜の千切りをいれ、一切水をいれずにコトコト炊き上げるとできあがり。 ◇ ニューヨークで暮らすことになってから、それまであまり親しくなかった、というか友人でもなかった人からの来宅、っていうのがたまにある。当然、先方は日本から遥々である。あまり物事にこだわらない主義なので、それが男性であろうと女性であろうと了承している。ひどい時は「誰だれの友達なんですが……、1泊させてください」ってのも昔あった。 賀川くんも確か、日本で何度か会ったことがあるという程度の人だった。もう10年ほど前になるが、彼が日本での仕事に疲れ失業して、3か月居候していた時がある。まだ彼が20代後半で独身だった頃のことだ。 ◇ 賀川剣史。検索サイトで調べると20件弱は出てくる。現在、彼の作品が展示されているところと言えば、川崎市にある岡本太郎美術館で開催されている「第9回岡本太郎記念現代芸術大賞(TARO賞)」展=写真左=だ。 今回も大賞こそ逃しているが、ここ数年、どんな賞取り合戦にも応募さえすれば、確実に入選している。同展は3月26日まで開催されているので、お時間のある方は、どうか彼の作品を観に行ってあげてください。また、最終26日(日)の「出品作家によるギャラリートーク」(無料/定員20人)に、本人も大阪から遥々参加して、作品についての解説をするらしいので、興味のある方はそちらへも足を運んであげてください。 この他の彼の主な受賞を伝えると、第5回文化庁メディア芸術祭入選(2002年/中央美術学院美術館=中国)、第12回吉原治良賞美術コンクール展入選(2003年/大阪府立現代美術センター)、 第6回文化庁メディア芸術祭入選(2003年/東京都写真美術館)、第7回世界ポスタートリエンナーレトヤマ銅賞(2003年/富山県立近代美術館)と、結構、イケてきたんじゃないかな、と思うこの頃である。というのも、そもそも「賞取りに走れ!」と彼に火を着けたのは私だから。 彼が2002年、文化庁の費用持ちで、中国の中央美術学院美術館を訪れるチャンスを得た入選作品のタイトルは「room number M19」。そう、私の部屋番号である。彼は、この部屋から見えるCONEDISONの3本の煙突の写真を、デジタルでコラージュして仕上げている。唯一、彼が観たニューヨークの想い出の象徴となるこの煙突は、現在、解体進行中で、3本のうち一番太い1本は完全に無くなり、残りの2本も、既に10分の9ほどが消えて無くなっている=写真右。 ◇ 彼は3か月間の滞在中、予め目星をつけたギャラリーにたった1人で出向き、カタコトの英語と身ぶり手ぶりでポートフォーリオを観て貰って帰ってくる、という毎日を過ごしていた。もちろんアポイントメントもなしだ。私が夕方、会社から戻って自宅で一緒に食事をしながら、成果を聞くというのが日課となっていた。 「全然あきまへんわ〜」 それが彼の応えである。ニューヨークには世界中のアーティストが自分のポートフォリオを抱えてコネを探しにやってくる。どこのギャラリーも、そんな人たちのファイルが山積みになっている。多分、彼のファイルも未だ、どこかの山に眠っているだろう。週末には私も何件かのギャラリー巡りに付き合った。1人ではなく、誰かと美術館やギャラリーに出かけると「歩調が合う、合わない」がある。大抵、各々惹かれる展示品にかける時間に多少ズレが生じる。さほど気にすることでもないのだが、驚いたことに彼とピッタリ一致した。同じ物に興味を持ち、首を傾けている。こんな人は初めてだった。それに気付いてからというものは、彼が行って来て面白がるギャラリーや美術館を片っ端から連れて行って貰った。 「これ〜、何かヘンでっしゃろ、アカン、こんなんもう〜アキマヘンわあ」 なるほど、感性が似ているのか、へんなモノ(私が好きなモノ)を見つけてくるのが異常にうまい。彼がアカン、と言ってるのはダメという意味ではなく「めっちゃくちゃ悔しい、こんなの出されたら、もう手も足も出ない」という程の意味合いだ。2人で「あかん、もう完全にやられてるわあ」と声を揃えて大笑いするギャラリー巡り。今となっては、その頃の新鮮さを忘れ、失い、懐かしい想い出となり、探すことすら億劫になってしまっている。 ◇ 彼はろくにお金もない。残るは帰国するチケットとパスポートくらいになった。滞在されるのは構わないが、交通費や食費などの面倒を見られるほど私も裕福ではない。そんな訳で、私が勤める会社の制作室でデザインのバイトを見つけ、せめて交通費だけでも捻出できるよう協力もした。その頃の日系の会社は、事情を説明すると何でも協力を惜しまず助けてくれた時代である。例えば、日本の本社から誰かが出張でやってきた——となると、必ず、社員全員に饅頭1個ずつとも配給がある。今でこそ、日系スーパーがあちこちに出来、そんなに有難くもなくなったが、まだまだその頃は、日本食品となれば53丁目の「片桐商会」かNJの「ヤオハン」(現ミツワ)まで買い出しに行かなくてはならず、日本からのお土産は、どんなモノであれ、殊の外有難い代物だった。 季節は冬。寒くても相変わらずバイトのない日はギャラリー通いに精を出す彼のことを思って、一丁、この週末、作ってみるか!と「白菜なべ」に取りかかった。 今はどこのアメリカのスーパーでも白菜は並んでいるが、当時はチャイナタウンまで買いに行くしか手立てがなかった。そんな思いも叶って「美味しい、おいしい」と彼は喜んで食べていた。そんな楽しい「白菜なべの日」の1週間くらい前、会社で日本からの珍しいお土産ということで「喜多方の生ラーメン」が1食分ずつ皆に配られた。それはもう、ホントに有難い贈物で、片桐やヤオハンに「シマダヤの冷凍ラーメン」は並ぶものの、喜多方の生ラーメンは手に入らない(多分、未だにないだろう)。私は大事に持ち帰り、さて、いつ食べようか。ちゃんと、もやしも買いに行こう!などと楽しみに冷蔵庫に密かに保管してあった。 さて週明けの月曜夜のこと。まだ家に「白菜なべ」あったよな、とワクワクしながら会社から帰宅。さてさて、今夜も味がしみ込んだ「白菜なべ〜〜〜♪」と台所に入ると、洗い上げのところに鍋が洗われて伏せてある。「えっ?ウソやろ」。そこへ、呑気な笑顔で「おかえりなさい、寒かったですね今日も」とノコノコ台所に現れる奴、約1名。 「賀川くん…、白菜なべ………?」 「あっ、お昼に片付けときました」 「えっ?」 「あ、そうそう、冷蔵庫にラーメンあったから、白菜だんごラーメンにして………」 この胸の内は、日本から来た観光客には分からないだろう。本当なら喚き散らしてブン殴るところだ。あまりのショックで暫く口がきけなかった。腹立たしいというような生易しいものではない。完全に怒り狂って、発狂しそうになっていた。こっちに住んでいない限り、どう説明しても、まあ10%程度理解できたらいいところだろう。 無理だ。悔しいが完敗だ。暖簾に腕押し。もう無いんだから、しょうがナイ。私は喚き散らして泣き叫ぶ道を諦め、静かにコトの重大さを彼に説明して、その晩はパンを齧った。 ◇ 「あ〜、懐かしい味ですわあ。コレ、冬になると今でも無性に食べたなって困りますわ、ハハハ」 元亭主は顔をくちゃくちゃにして嬉しそうに平らげた。「おかわりは?」と手を差し出して聞いたが、おやじの顔色を気にしてか、彼は「いや、もう結構です。ほんま、ごちそうさまでした」と涙を浮かべんばかりに笑っていた。そう、彼は死ぬまで、二度とこの白菜なべの味を口にすることはないのだから……。 ◇ 今日から3月。ニューヨークはまだまだ寒い。 天気予報によると、明日から週末にかけて、また一層寒くなり雪が降るらしい。 さて、こんな日は、特製の「白菜なべ」でも作ろうかな——。 Copyright © 2006 S.Graphics All Rights Reserved. ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 賀川くんからの手紙 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- こんばんは。 今晩も泊まりです。 少しゆっくりできたので、 エッセイ読みました。 やっぱり、 食べもんの恨みは コワイでんなぁ。 ボクが悪いんだけど、 もうかれこれ9年です。 で、もうじき3月17日。 9年前にN.Y.から日本へ 帰って来た日です。 チクショウにも次の日の アニキの結婚式に出るために。 ---- CONEDISONはドンドコなくなって 行きますね。あの煙突を ひがな一日眺めていたことを 思いだします。 ---- 作品は昨年の個展以来 約1年ほど新作は作っていません。 近作をまわして、コンペに対応していました。 少々悩みもありました。 先日、川崎へレセプションに 行ってからでしょうか。 今後は国際コンペのみにし 一度、地道な売り込みに入ろうと思います。 この先の10年は事務所の世代交代も 考えられるので大変です。 体力も正直、無理がきかなくなって来ました。 ---- N.Y.から帰還して9年。 どこぞに招聘されるくらいの 結果が出ません。 なんとかしたい日々が続いています。 カガワタケシ ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 追記 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- う〜ん、、、、、。 「食べもんの恨み」で片付けましたか。。。。 ことの本意が、まだ伝わっていないような気もします。 ま、それは仕方ないことなんでしょうが。。。。 Copyright © 2006 S.Graphics All Rights Reserved.
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| 2006-03-02 16:00
| エッセイ
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