ケータイ小説

 猫も杓子も「作家」を名乗りたがる——1億総作家の時代である。
 手軽にブログやネット上で日記を公表して、やれ忙しいだの、取材だ!撮影だ、と宣っているライター気取りの輩は、ごまんといる。
 よくもまあ、恥ずかし気もなく「作家」を名乗れるなあ、と感心するのだが、つい最近、作家大先生と言われる86歳なる御大の作品を、ネット上で、もちろん只で読んだ。それらは今流行の「ケータイ小説」なるものである。

「ケータイ小説」の始まりは、2000年に発表されたYoshiの「Deep Love」だという。そういや、こっちのフジテレビでもオンエアされていたドラマ「翼の折れた天使たち」に、Yoshiという名前があったなあ〜くらいの感覚である。
 Yoshiなる人物が、誰であるかすら知らないが、ケータイ生活に不慣れな在米者にとっては、所詮その程度だ。しかし、携帯サイトにアクセスすれば、誰でも手軽に発表でき、出版社の目に留まれば、次々と書籍化されて、今や100万部を突破するベストセラーも数あるらしい。
 いやはや自称「作家」だらけになっているのも、また真実であるようだ。生業(肩書き)のカテゴリー上「ケータイ小説家」があるということも頷ける。

 先日、ネット上のニュースで「瀬戸内寂聴さんがケータイ小説」という見出しを目にした途端、ちょっと興味が湧いてしまった。
 スターツ出版が運営するケータイ小説サイト「野いちご」で、正体を隠して密かにコギャルたちと交流を持っていらしたこと自体に驚いた。
 寂聴さん自身「私もこっそりケータイ小説を書いていました。わくわくしました」とコメントしている。
 う〜ん、それって、ちょっとイイな。そう思って読み始めた。

 ユーザネーム「ぱーぷる」さん
 会員番号「73865」
 性別「女」
 誕生日「さつきのころ」
 自己紹介「最近ケータイ小説はじめました ドキドキッ ヾ(=^▽^=)ノ 感想まってます」
 書いた小説「あしたの虹」

 その正体が明かされるまで、誰が、この「ぱーぷるさん」が、86歳の老婆だと気付くだろう。
 文体に「マジ」「ダサ」「ヤバイ」などギャル語らしき言葉も目立つし、ご丁寧に絵文字まで使ってある。ましてや瀬戸内文学とまで称された、あの瀬戸内寂聴だと誰が思うだろうか。
 私の世代では瀬戸内寂聴というより、まだ瀬戸内晴美の方が馴染みがあるし、まず「源氏物語」のイメージが思い浮かぶ。そう!これがヒントでもあったようだ。
 ユーザネームの「ぱーぷる」さんは紫式部であり、小説「あしたの虹」の主人公(ユーリ)が恋焦がれる相手の名前、ヒカルは、光源氏だったと……。

 この「あしたの虹」については、如何せん駄作だと、私は思う。
 陳腐な内容と展開、意外性のカケラもない。がしかし、若い娘たちにとっては、感動作に値するのだろうとの察しもつく。
 ケータイ小説とは、こうなんだ、と知ることにも繋がった。
「ぱーぷるさん」が設置されている感想ノートには「とっても感動出来ました。泣いてしまいました (;-;) 素敵なお話で、なにか心にジーンときます」などの文字がいっぱい踊っている。
 ごく普通の86歳のおばあちゃんたちは、孫と、こういう会話を望んでいるのかも知れない。健康器具や健康食品、あるいはご馳走などを頂くより、余程嬉しいプレゼントに違いないだろう。

 短く平易な文体。カタカナが多く、しかもギャル語。
 修飾語をトコトン省き、情景描写も、寒いのか暑いのか程度で、あまり必要ない。要は等身大の会話とカギ括弧で始まるセリフが命だ。
「ケータイ小説を書く」という縛りは、想像するより、かなりキツそうである。
 表示できる文字数が限定されることもあろうし、漢字が読めない、日本語を知らない世代が読んでくれる対象者であるから、今まで慣れ親しんできた文体からは、かけ離れた表現法にも苦労するだろうと思う。
 寂聴さんは、これらケータイ小説が「何故読まれているのかが知りたい」という気持ちから、絵文字も使って挑んだという。
 読者層はティーンの女性がほとんどだ。書き手と読み手が、同年代ゆえに共感を呼ぶのだろうか——。もし娘がいたなら……と思ってみても仕様がない。また、年代を偽ってマネて書いたとしても、必ずどこかで無理が生じるだろう。
 どの小説も、作家志望でもないごく普通の若者が書いているらしい。
 もちろん私も作家を名乗る気などない。しかし、このちょっと不思議な「ケータイ小説」の世界は、これからの余生の愉しみの1つとして覗いてみたい気がしている。

 ケータイ小説のメインとされる「恋愛小説」は、経験も極端に少ないことから最も苦手な分野である。が、ケータイ小説は、ワンパターンの筋書きだからこそ、逆にウケてる訳で、ヘタに小細工した意外性のある内容を、これら読者は求めてはいない。
 書き手も賛辞を欲しがってもいないし、単に、見知らぬ誰かに話を聞かせたいだけである。おこがましくも私が目指している大衆文学は、そうあるべきだと、そこから始まるんだと、私は思う。
 20数年、他人の文章を世に出すためだけに懸命に編集者としてやってきた。今更、気取って芥川賞でも直木賞でもない。
 イチから始める人生の再スタートに、この「ケータイ小説」は相応しい気がする。
 まずはケータイを購入して、絵文字も使える程度に学習し、漢字も慣習も一切除外して「書く事、書けることの楽しさ」を、もう一度味わってみよう——これが50歳、今の決意である。
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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by sgraphics | 2008-10-18 08:16 | エッセイ
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