新説「鶴の恩返し」

「鶴の恩返し」。
 この話は、昔助けたツルが恩を返すためにやって来て、自分の羽根を抜いて反物を紡ぐ——という、誰もが知っている民話である。
 この民話には「何か良いことをすると、巡り巡っていつか自分に良いことが返ってくる」ということと「約束は破ってはイケナイ」という教えが込められている。現在では「動物愛護」にまで言及するかもしれない。
 人が破ってしまった「決して覗いてはイケナイ」という約束。しかし、本当はどうなんだろう? 私には、この民話の結末は、これで良かったんだ、と思えて仕方がない。

■自虐的なツルの場合
 民話の中のツルは、人が「決して覗いてはイケナイ」という約束を破ったからと、サッサとケリをつけて飛び去る。しかし約束を破られたとして「まあ、一度くらいなら」と許してしまうツルだったら、どうなっていたんだろう。一度ならず何度も許してしまうツルの場合は……?
 人は一度でケリを付けられる人とそうでない人に分かれる。事情によって、たった一度の過ちを許さない、許せない場合も、もちろんある。
 もし、お人好しのツルがいたとして、反物を紡ぎ続けたら? いずれ羽根は無くなり、次に生えて来る日まで何とか人に隠そうと、日々怯えて生活することになる。そこまでして、何故隠す必要があるのか? 心優しいツルだから? いやいや「ずっと、良いツルだと思われていたいから」という見方もある。単なる自虐的なツルで、臆病者なのかも知れない。
 一方、元々恩返しされている方は、日々貪欲になる。
 当初「ホント申し訳ない、ありがたい」という心持ちであったものの、日が経つにつれ「おいおい、早く何とかならねーのかぁ。羽根よぉ〜」と、女工哀史さながらに反物を織らせる。人は一旦味をしめると見境が無くなる。本末転倒に気付きながらも、ツイツイ調子にのって止められなくなる。
 いづれお人好しのツルは過労死する。恩返しされていた方はというと「また新たなお人好しのツルを見つけるまでだ」と考える。ひょっとして過労死したツルをお鍋にして食するかも知れない。

 人は変わる—。この民話は、人の気持ちは豹変するものだと教えた方がいい。

■鈍感なヒトの場合
 日々、夜なべして織っているツルとの約束を頑なに守って、決して覗かない鈍感な人だったら、どうなっていたんだろう。何年経っても覗かれない場合は……?
 恩返し中のツルも、初めは「ホント喜んで貰えてよかったぁ〜」という心持ちであったものの、日が経つにつれ「ったく、いい加減気付けよ〜、覗いてくれよぉ、こんなイイ反物、羽根無しで織れるワケねえーだろう、こっちは痛いんだよっ」と愚痴が出る。
 一方、恩返しされている方は単に「へえ〜凄いね、すごいね。よかったね、ツルを助けて」を繰り返す日々。いづれツルは、悪意は無くとも鈍感な人たちには、何を持ってしても「人の痛みは通じない」ことを悟り、このままでは身ぐるみ剥がされることを予測しつつ「もう、やってらんねー」と早々にケツを捲って飛び去る。
 残された方は、いつまでも何が何だか分からないまま「またいつか傷付いたツルを助けてやればいいっか」と、あっさり前向き思考。名残惜しいとかズルズルと過去を引きずらないし嘆きもしない。そして、ツルから恩返しを受けたことはさて置き、自分がツルを助けたことを永遠に記憶して、余生、自分のいいように語り継いで「おめでたい奴」として生きてゆく。

 人は変わる—。この民話は、人の記憶は可変するのだと教えた方がいい。

 ツルは1度きりの、人の過ちをも許さず、人はたった1つの約束すら守れなかったというこの「鶴の恩返し」。早くにサヨナラしておいて、ホントに両者とも傷を深めなくて良かったな……という結果に、なってはいないか——。
 これはこれで良かったんだ、という結末ではないのか?
 人生、半世紀も生かされて暮らしていると色んな障害にぶつかる。「結局、これで良かったんだ」と思える(思わざるを得ない)ことも増える。それは、人に対しての諦めかも知れない。
 悟る——。物事の真意を知ること、それと気づくことは、何も難しいことではない。しかし、それらを会得するには、時間が必要である。その時間は人によって長短あるだろう。長くかかるからと言って後ろ指を指されることでもない。しかし時間には限りがある。人に与えられた時間は永遠ではない。

 私は自虐的なツルである。幼い頃から我慢する、耐えることに慣らされ切ってしまって、有り難いことに、その感覚にマヒしている。だからか、普通の人なら、かなりヘコむような状況下でも案外ラクに乗り越えられる。「怒味期限」が短いのである。しかし我慢した(させられた)という記憶は残っているので「恨味期限」は永い。その保存方法にもよるが、腐らせて捨てたということは未だかつてない。哀しいかな保存状態は良好だ。でも、その味には変化が起きる。苦味も時間が経てば旨味になるやも知れない。

 人は変わる—。人への気持ちも枯渇するのだと伝えたい。

2008年6月27日号(vol.169)掲載
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by sgraphics | 2008-06-27 03:32 | エッセイ
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