2010年/年賀状

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# by sgraphics | 2010-01-17 10:26 | 年賀状シリーズ

アメリカンズ・ウエー

 アメリカから完全撤退し、一時帰国を除いて15年ぶりに日本に着地して約2週間が経った。日本のテレビ映像から毎日流し出される深刻化した「失業問題のニュース」を耳にするたび「一寸先は闇」を思い知らさる辛い日々を送っている。それでも街に溢れる若者は皆、最新式ケータイやipodなどを手に、今年の流行らしき高価なダウンジャケットを身に纏って好き勝手に生きている(……ように、私には見える)。
 日本の住民票を一旦放棄してアメリカの日本総領事館に在留届けを提出している身としては、帰国後、部屋を借りるにしても、取りあえずのバイト先を探すにしても、ことごとく却下される難儀な問題に直面する。疎外感とでも言おうか、日本国籍を持っていても何の意味もない。お役所的なことには全て住民票や印鑑証明書、はたまた源泉徴収票などは必須である。それも15年間、日本に税金を支払っていなかったツケだと思うしかないが、今まで道を外すこともなく生真面目にガムシャラに生きて来て、気がつけば50歳になっていただけのことなのだが(私にすれば)、本国に帰ると、ちょっとしたことにも、私には全く社会的信用が無く、何でもカンでも、たった1人の兄貴に保証人を頼むしか、この日本で生きる(生かされる)道は無くなっていた。「あ〜、兄弟がいて良かったぁ」と、本当に思い知らされる。
 そこに加えて、最悪な円高ドル安である。日本のクレジットカードも15年前に失効していて現金(円)もあまり持っていないため、ちょっとした生活用品購入の支払いも、取りあえずはアメリカ発行のクレジットカードに頼らざるを得ない生活だ。何かを買う度にアメリカの銀行口座からドンドンお金が引き落とされるのだが、アメリカの銀行は規定貯蓄残高に満たなくなった場合は毎月手数料もしっかり取られるシステムだから2度イタイ思いをする。
 こんな辛い事情から、いつまで経ってもアメリカの口座すら閉じられない状況が続いている。そこへ、追い打ちをかけるノーティスなしのアメリカでの定期的な仕事の打ち切りだ。不況に嘆く在米日本人の状況も、手にとるように分かるため、グッと堪えて二つ返事で条件を飲むしかない。
 ほんの僅かな収入であったにせよ、アメリカの口座をキープする微かな望みであった仕事が、突然消えた。職業柄、私はインターネット環境さえ整っていれば、どこの国であろうが一切違わず仕事の受注は可能である。「帰国または移動する」ことに何の障害も生じない特異な有り難い職業でもある。しかし世の中とは、何か相手にエクスキューズを求める。本来、何の原因にもならないことだが「○○さんが帰国するから」というフレーズが、どうやら公然と打ち切りの理由になってしまっているようだ。これがアメリカンズ・ウエーなのかも知れない。
 イラクから完全撤退しないブッシュ大統領に対して14日、靴投げ騒動が起こった。米軍がイラクに駐留する根拠となる米軍地位協定に、イラクのヌーリ・マリキ首相とブッシュ大統領が署名する際の共同会見上で、エジプト・カイロ放送局のイラク人記者が「別れのキスを受け取れ、この野郎!」と罵声を浴びせながら、自分が履いていた左右の靴を投げつけた。
 この記者はただちにボディガードらに取り押さえられ、会見場から引きずり出されたが、ここ2、3日のニュースを見ると、この記者を英雄視する報道がアチコチで目立っている。根強く残るアメリカに対しての敵意は、決して拭い去ることは出来ないだろうが、この騒動の結末を見て知って「YES! THIS IS AMERICA!」「めっちゃええやん。これこそアメリカ人やん!」と、つい口に出して苦笑してしまった。こんな緊迫した状況下で、咄嗟に「今の靴のサイズは10だったよ」と一笑して、会見を丸く治めて続行したブッシュを、私は手放しで受け入れる。さらに「アンタは吉本新喜劇かっ」と突っ込みたくもなる。どこの国の大統領(要人)であれ、こんなクールな対応は出来なかったと、私は思う。騒動後の未だ反省の色が見えないコメントについては「やれやれ」とは思うが、ここらもまた、アメリカンズ・ウエーなんだよなぁ、と既にアメリカを懐かしんでいる自分がいる。
 これから私は、まだまだ靴を投げつけられる思いに遭遇するやも知れない。しかし、どんな状況にあっても、吉本のノリで、何事にも上手くジョークで交わすことのできる大らかさと余裕を持って過ごしたいと心底願っている。どんな相手であれ、こちらが大人でクールな態度でさえ接していれば悔しくとも、お互い傷付くことは少なくて済む。
 読売アメリカ社がアメリカから撤退し失業後、約5年間に亘って幣紙に携わり、我が子のように可愛がり育てて来たtocotocoが、今号を持って休刊(廃刊)することとなった。幣紙は私にとって色んな意味で「ニューヨークでの足跡」となる。カタチあるものはいずれ忽然と消える。創刊しては廃刊する。日本でもアメリカでも何度も味わった。それでも、懲りずにまた立ち上げる。それがマイ・ウエーになることを祈りつつ……。
2008年12月26日号(vol.180)掲載
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# by sgraphics | 2008-12-26 22:13 | エッセイ

November, 28. 2008 vol.179

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vol.179/表紙「全国駅弁日和」
2008年11月28日号(vol.179)掲載
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# by sgraphics | 2008-11-25 01:00 | バックナンバー

誤読

「不況、不況」と景気の悪い文字が踊る今、日本企業の中で唯一、バブリーだとされて来たメディア業界(テレビ各局)も例外ではないらしい。経費削減で社内のコピー用紙の節約などは決まりきったことだが、番組の基本となる「台本」も部数を削減し、タレントが使う楽屋からはティッシュペーパーの箱が無くなり、トイレの水の出方を抑えて節水し、社屋中の天井の照明(電球、蛍光灯など)も、テレコテレコに消されて1個飛ばしの状態で点けられているという。
 これらは某局だけ、というワケではなく、全ての局がそうであるらしい。「明らかに時代は変わった」と、売れっ子お笑い芸人たちが口々にグチをこぼす。しかし、そのお笑い芸人たちが今、各局でひっぱりダコ状態にある。
 番組制作。それ自体の経費が大幅に削減されているとあって、どこの局も「安価でもソコソコの視聴率が取れる」クイズ番組に頼らざるを得ないという。毎年、年末から年始にかけ「開局○周年記念特別番組、総制作費○○億」との触れ込みで放送される豪華キャストが揃う「ドラマ」の類いも、もう御法度のようだ。少し話が逸れたが、世は正に「クイズ番組黄金時代」となっている。
 主役となるのは、まだギャラの安い若手お笑い芸人たちやグラビアアイドルたちで、その学力を競う……というより、その低学力(バカさ加減)を競って、お茶の間に笑いを誘う仕掛けである。
 可愛いオンナの子たちの「あり得ない、考えられない回答ぶり」で視聴率は上がり、そのバカさを売りに「シャレです、シャレ!」と、今、波に乗れる時にできるだけ乗ってドンドン稼げとばかりに、次々とユニットを組み、ヒット曲を出して何万枚、何千万枚もの売り上げを記録する。「バカがウリ」の時代である。「バカ度」はマイナスイメージにはならず、好感度アップが狙える「おいしいツール」になったのである。
 確かに、自分よりバカを見て憤慨する人もいない。考えられないオバカな回答ぶりを見て聞いて、思わず吹き出してしまうことはあっても、気分を害してしまう人はいないだろう。私はこれらのバカっぷりを「ヤラセ」とは思わず見ていたのだが、中には「これはちょっと上手く出来過ぎている、ヤラセだろう」との見解を持つ人もいる。そう言われれば、やっぱりそうかなあ〜、と思えるくらいの低能ぶりで、そうなってくると、結局は、台本を書く放送作家たちの頭のキレ如何に関わってくる、ということになる。
 政治家たちの演説にも、それぞれキチンとした台本があり、原稿を作成してくれる頼もしい秘書官などがいる。
 その影武者(秘書官)に、放送作家ほどのキレの良さは求められてはいないが、自分が仕えている「武将」そのものの能力、知力のリサーチ不足が、最近目立っている。
 秘書官にすれば「そこまで、ウチの武将はバカじゃないだろう」「これ以上、噛み砕いた原稿(読み仮名をふるなど)にすると、反って失礼だし、バカにしてるのかっ!と一喝されはしないか……」などという遠慮(配慮)があってのことだった、とは思う。しかし実際は、大喝されても「バカを対象とした」原稿を作成したの方が良かったのである。これらは全てリサーチ不足の、秘書官に責任がある、と私は思う。
 自分の武将のバカっぷりを世間に堂々と打ちまけてどうする。ひょっとすると、失脚させたいがためのワナなのか?とさえ思えるフシすらある。
 原稿たるや、読む対象を入念に考えて、完璧に仕上げてこそプロである。裏の裏の、その裏をも見通す力量が書き手に試される——そこにこそ、本来、物書きの醍醐味があるはず、である。
「詳細」「 頻繁」「未曾有」「踏襲」。我が国ニッポンの麻生総理は、これらの漢字の読みが出来ない。
「詳細=しょうさい」を「ようさい」、「頻繁=ひんぱん」を「はんざつ」、「未曾有=みぞう」を「みぞゆう」、「踏襲=とうしゅう」を「ふしゅう」と読み上げ、記者団から指摘されても「そうですか。単なる読み間違い」と一蹴した。
 読みができないということは、書く事も当然、できないのだろう。ましてや、ことの意味については、皆目分かっていないのだろうとの察しもついてしまう。文章の前後から察して、あり得ないだろう「誤読」を平然とやってのける。しかも、国会答弁や行事の挨拶上でだ。
「出たよぉ〜ゆとり教育!」と、半ばシャレ的に使われる「ゆとり教育の歪み」を、自分のバカなる要因には持ち出せない「超ボンボン育ちの老獪」である。
 発足して2か月、余りにも暴言、失言の類いが多過ぎやしまいか——。カップ麺の市場価格を1個400円程度と予想する首相が「(医師に対して)社会的常識の欠落」を語って、またもや発言をアタフタと撤回する昨今。ごく普通の日本語でさえ正しく読むことができない68歳の首相を、私は笑えない。
2008年11月28日号(vol.179)掲載
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# by sgraphics | 2008-11-25 01:00 | エッセイ

November, 14. 2008 vol.178

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vol.178/表紙「OBAMA de GIFT 2008」
2008年11月14日号(vol.178)掲載
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# by sgraphics | 2008-11-13 07:16 | バックナンバー

YES ! I CAN

 オバマが圧勝した。4日は夕方からテレビを着けっぱなし状態で、キッカリ深夜3時まで釘付けになった。勝つ予想はしていたが「でも案外、ひょっとして……、前回の例もあるしなあ……」と思うところもあって、画面から目が離せないでいた。午後11時18分。早々にマケインがアリゾナ州フェニックスの陣営で敗北宣言をした時点で「やったんだあ〜。アメリカ……やるなあ」と、オバマ氏曰く「合衆国民」でも無いのに、これからのアメリカへ、期待感が膨らんだ——。
 15年間、選挙権が無いまま、3度目の大統領選挙を味わった。オバマ次期大統領については今から遡ること617日前に、2007年2月23日号(vol.139)の特集で紹介した。多分、日本のメディアとしては幣紙が最初だろうと、ちょっと誇らし気に思っている。1916年生まれ、47歳のアメリカ大統領の誕生である。なんと年下だ。それに比べて、一体、私は何をしてるんだろうか……と、比べるのも烏滸がましい限りだが、つくづくそう思う。
 今、引っ越しの荷物作りに追われる日々を送っている。たかが15年、されど15年。荷物の1つ1つに想い出がある。私は遅まきながら36歳で渡米した。日本は終身雇用で離婚後でも安泰。このままズルズル勤めてさえいれば、毎月、給料は保証されているし、多少なりとも豊かな老後も待っている……そう思わなかったか?と問われれば、YES THAT'S RIGHTと答えただろう。その通りだ。それまで働いていた大手と言われる巨大メディアを辞めて「学生になってイチから勉強しよう」「40歳まではアメリカで頑張る」と意気込んでいたものの、損得勘定は何度もしたし、未練タラタラだった。離婚2年後、突然今度は「退職して渡米する」と言い出した娘のワガママを快諾してくれた両親、実際は心中キツかっただろう。そんな色んなシガラミを引きずったまま、ここニューヨークでズルズルと暮らして来た。振り返ると、本当に色んなことがあった。マグカップ1つ、ショッピング・バッグ1枚でさえ、すべてに想い出がある。f0055491_6254436.jpg
 昭和1ケタ生まれの両親を持つ私は「勿体ない」と、何でも捨てずに溜めるクセがある。クローゼットを掃除すると、出てくる出てくる紙製のショッピング・バッグや、きちんと折り畳まれた包装紙の山。何でこんなモンまで溜めていたんだろう?と苦笑しながら処分する。しかし、それらには懐かしいニューヨークの移り変わりが走馬灯のように見てとれる資料にもなっている。
「GALERIES LAFAYETTE」(ギャラリー・ラファイエット=写真)。そういや、このフランスから進出しているデパートで、生まれて初めて「CLARINS」(クラランス)の基礎化粧品類を買った。日本では高価だったし、アメリカなら尚更「Clinique」(クリニーク)でも買っておけ!的な感じだったから、ちょっと気位の高いギャラリー・ラファイエットで買うことへのステイタスも、少なからず感じていた。あの場所……、ナイキタウンになってから、もうどのくらい経つのだろう。
 7月から9月にかけて、最後の追い込みとばかり日本からの来客が相次いだ。久しぶりにブラブラと付き合いがてらショッピングに出かけ「何でもお任せください」とニューヨーカー気分で得意気に友人を案内するも、店の前まで来て「えっ?何年か前まで確かにあった…ハズ」とバツの悪い思いを何度もした。行く先々の店が消えているのである。それも1軒2軒の騒ぎではないので「歳とってボケたんじゃない?」と思われはしないかと、胸中穏やかではなかった。
 様子見に、会社へ休暇届けを出して日本から来てくれた友人皆に「グリーンカードも放棄するつもりで本腰を入れて帰国する」と話すと、100%「えっ?勿体ない!それは止めた方がいい。ニッポンは益々住みにくいし、絶対に後悔するから、キープしといた方がいい」と返ってくる。さらに「日本はマジ不況で嫌な事件ばっかりだし、仕事なんてとてもとても。組織も昔みたいに面白くもないし、その歳じゃ、まずムリ!ましてやフリーランスなんて、どーにも、こーにも。このご時勢だからねえ……」とネガティブ反応ばかりだ。日本を出た時もそうだった。「勿体ない」と、誰1人、決断に賛成してくれた人はいなかった。ニューヨークを離れる時もまた「勿体ない」を繰り返される。15年ぶりに、当然、損得勘定が作動する。もちろん未練もタラタラだ。しかし今、これらの迷いをスパッと断ち切るかのように、なり振り構わずドンドン捨てていっている。
 50代になって、再度スゴイ賭けに出る。本来なら、そろそろ老後を気にしつつ、穏やかな余生の在り方などを検討していたであろう年代だ。今まで好きに生きてきた分、そのツケは大きい。貯金もなし崩しに無くなり、一文無しの状態で始める哀しい50代を、誰が想像できただろう。「YES! I CAN」。イチかバチか、やるしかない。
2008年11月14日号(vol.178)掲載
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# by sgraphics | 2008-11-13 07:15 | エッセイ

October, 31. 2008 vol.177

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vol.177/表紙「甘く危険なチョコ」
2008年10月31日号(vol.177)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-31 10:28 | バックナンバー

どこか、間違ってやしないか——。

 今の日本の若い人たちは、所、相手など構わず(選ばず)、絵文字を多用(乱用)しているのだろうか——。
 ここ最近、日本の物件探しで、大手、弱小を問わず、アチコチの不動産斡旋業者とeメールを交わしている。しかし返ってくるメールの大半は「絵文字」付きである。
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先日はお問い合わせいただきまして有難う御座いましたm(----)m
この度は物件お問い合わせ頂き、ありがとうございますっ(=゜ω゜)ノ
この時期は良い物件、安い物件から無くなるのが現状です(>_<)
お問合せ頂いた物件、現在1室のみ空きございます(^v^)
それでは、失礼致しますm(__)m
お待ち致しておりますっω_(゜゜ )//
何卒よろしくお願い致しますm(----)m
ぜひお早目のご来店をお勧めします(^?^)
ご質問、ご相談などお気軽にお問い合わせ下さい☆♪☆
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 感嘆符「!」は極当たり前で、音符「♪」や、星「☆」なども、句点「。」の変わりに用いられている。しかも、問い合わせに対して、取りあえずの礼の意を示す「ありがとうございます」の語尾や、来店を誘致するための「お待ちしております」などの語尾にも、小さな「っ」が入り「ありがとうございますっ、お待ち致しておりますっ」となる。これら営業メールでだ。もし、店頭を訪れて相談する場合、相手はタメ口なんだろうか。それとも客の年格好をみて即時判断するのだろうか。相手が見えないeメールでは「相手が希望する物件タイプや希望する場所」から大体の年齢を想定して、こういう馴れ馴れしい返答になるのだろうか。
 どこか、間違ってやしないか——。

 さらに、帰国するに当たって「ムービングセール」の告知をインターネットの掲示板でしてみた。すると意に反して、結構な問い合わせがあり、その際、不特定多数の見知らぬ人とのeメールのやり取り(時間と手間)もバカにならない。帰国後、再度購入しなくてはならないモノも多数あり、本当にバカバカしいが、それらを持って帰ろうとすると、引越し費用が1000ドル単位で嵩むため、荷物のほとんどが「引き取りに来て頂けるなら無料です」というものだ。また有料であったとしても1ドル、2ドル程度である。それでも引き取って貰うために数回、eメールでやり取りし、日時を決め、モノを1つ1つ丁寧に梱包して、その都度、階下まで降りて挨拶を交わして手渡す。大きいに荷物を運ぶ時は、わざわざコンシアージで「カート」を借りて運んだりと、力仕事でもある。引き取りに来られる全ての人に「どうせ捨ててしまうから」と何かオマケのプレゼントを付けている。しかし、言うところの「モンスターペアレンツ」的な人に出会うのだ。
 一体、どういう了見なのか、全くもって私には分からない。「貰ったお皿が少しカケていました。どうすればいいですか?」「折角、ミッドタウンまで行くので、ぜひ取りに行きたいです」……。この「折角」の意味が分からないし、無料で差し上げているモノに「どうしたらいいですか?」と問われても「お嫌ならどうぞ捨ててください」としか言いようがない。「無料なら引き取りに行ってでも欲しい」と仰るから……という理屈は、どうも通らないようだ。
 どこか、間違ってやしないか——。

 作家、故司馬遼太郎は「竜馬がゆく」などの作品を著した旨を、自身のエッセイ「なぜ小説を書くか」で次のように語っている。太平洋戦争で敗れた時、指導者の愚かさを痛感し「昔の日本人は、もう少しはマシだったのではないかとの思いから記した」と。今、この時勢だからこそ、国の行く末に危機感を抱いてペンを走らせた彼の思いがヒシヒシと伝わってくる。末期的な世界経済の低迷、将来不安がつのる毎日。戦争こそ経験してはいないが、指導者の愚かさを痛感することに変わりはない。昔の日本人は、もう少しはマシだったのではないか——。いつの世も「昔は……」がカギとなる。
 今、宮尾登美子原作のNHK大河ドラマ「篤姫」が人気だという。従来のリサーチからも、到底、大河ドラマには絶対ハマらないとされている10代や20代前半の女性たちが、トレンディドラマを観る感覚で大河ドラマに釘付けになっているらしい。「篤姫」は幕末から明治維新に至るまでの激動の時代を、女性の視点から捉えたストーリーで、フジテレビの十八番「大奥」シリーズの流れの影響で、同番組などの時代劇にもスッと入り込めたのだろう。何でも自分の目で確かめ、考え、何に対しても決して背を向けず、常に毅然と立ち向かう篤姫の凛々しい姿に、ひょっとするとアニメのヒーローを重ねているのかも知れない。
 しかし、世も末、何か、間違ってやしないか——。
2008年10月31日号(vol.177)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-31 10:27 | エッセイ

October, 17. 2008 vol.176

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vol.176/表紙「NEW MUSEUM」
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-18 08:17 | バックナンバー

ケータイ小説

 猫も杓子も「作家」を名乗りたがる——1億総作家の時代である。
 手軽にブログやネット上で日記を公表して、やれ忙しいだの、取材だ!撮影だ、と宣っているライター気取りの輩は、ごまんといる。
 よくもまあ、恥ずかし気もなく「作家」を名乗れるなあ、と感心するのだが、つい最近、作家大先生と言われる86歳なる御大の作品を、ネット上で、もちろん只で読んだ。それらは今流行の「ケータイ小説」なるものである。

「ケータイ小説」の始まりは、2000年に発表されたYoshiの「Deep Love」だという。そういや、こっちのフジテレビでもオンエアされていたドラマ「翼の折れた天使たち」に、Yoshiという名前があったなあ〜くらいの感覚である。
 Yoshiなる人物が、誰であるかすら知らないが、ケータイ生活に不慣れな在米者にとっては、所詮その程度だ。しかし、携帯サイトにアクセスすれば、誰でも手軽に発表でき、出版社の目に留まれば、次々と書籍化されて、今や100万部を突破するベストセラーも数あるらしい。
 いやはや自称「作家」だらけになっているのも、また真実であるようだ。生業(肩書き)のカテゴリー上「ケータイ小説家」があるということも頷ける。

 先日、ネット上のニュースで「瀬戸内寂聴さんがケータイ小説」という見出しを目にした途端、ちょっと興味が湧いてしまった。
 スターツ出版が運営するケータイ小説サイト「野いちご」で、正体を隠して密かにコギャルたちと交流を持っていらしたこと自体に驚いた。
 寂聴さん自身「私もこっそりケータイ小説を書いていました。わくわくしました」とコメントしている。
 う〜ん、それって、ちょっとイイな。そう思って読み始めた。

 ユーザネーム「ぱーぷる」さん
 会員番号「73865」
 性別「女」
 誕生日「さつきのころ」
 自己紹介「最近ケータイ小説はじめました ドキドキッ ヾ(=^▽^=)ノ 感想まってます」
 書いた小説「あしたの虹」

 その正体が明かされるまで、誰が、この「ぱーぷるさん」が、86歳の老婆だと気付くだろう。
 文体に「マジ」「ダサ」「ヤバイ」などギャル語らしき言葉も目立つし、ご丁寧に絵文字まで使ってある。ましてや瀬戸内文学とまで称された、あの瀬戸内寂聴だと誰が思うだろうか。
 私の世代では瀬戸内寂聴というより、まだ瀬戸内晴美の方が馴染みがあるし、まず「源氏物語」のイメージが思い浮かぶ。そう!これがヒントでもあったようだ。
 ユーザネームの「ぱーぷる」さんは紫式部であり、小説「あしたの虹」の主人公(ユーリ)が恋焦がれる相手の名前、ヒカルは、光源氏だったと……。

 この「あしたの虹」については、如何せん駄作だと、私は思う。
 陳腐な内容と展開、意外性のカケラもない。がしかし、若い娘たちにとっては、感動作に値するのだろうとの察しもつく。
 ケータイ小説とは、こうなんだ、と知ることにも繋がった。
「ぱーぷるさん」が設置されている感想ノートには「とっても感動出来ました。泣いてしまいました (;-;) 素敵なお話で、なにか心にジーンときます」などの文字がいっぱい踊っている。
 ごく普通の86歳のおばあちゃんたちは、孫と、こういう会話を望んでいるのかも知れない。健康器具や健康食品、あるいはご馳走などを頂くより、余程嬉しいプレゼントに違いないだろう。

 短く平易な文体。カタカナが多く、しかもギャル語。
 修飾語をトコトン省き、情景描写も、寒いのか暑いのか程度で、あまり必要ない。要は等身大の会話とカギ括弧で始まるセリフが命だ。
「ケータイ小説を書く」という縛りは、想像するより、かなりキツそうである。
 表示できる文字数が限定されることもあろうし、漢字が読めない、日本語を知らない世代が読んでくれる対象者であるから、今まで慣れ親しんできた文体からは、かけ離れた表現法にも苦労するだろうと思う。
 寂聴さんは、これらケータイ小説が「何故読まれているのかが知りたい」という気持ちから、絵文字も使って挑んだという。
 読者層はティーンの女性がほとんどだ。書き手と読み手が、同年代ゆえに共感を呼ぶのだろうか——。もし娘がいたなら……と思ってみても仕様がない。また、年代を偽ってマネて書いたとしても、必ずどこかで無理が生じるだろう。
 どの小説も、作家志望でもないごく普通の若者が書いているらしい。
 もちろん私も作家を名乗る気などない。しかし、このちょっと不思議な「ケータイ小説」の世界は、これからの余生の愉しみの1つとして覗いてみたい気がしている。

 ケータイ小説のメインとされる「恋愛小説」は、経験も極端に少ないことから最も苦手な分野である。が、ケータイ小説は、ワンパターンの筋書きだからこそ、逆にウケてる訳で、ヘタに小細工した意外性のある内容を、これら読者は求めてはいない。
 書き手も賛辞を欲しがってもいないし、単に、見知らぬ誰かに話を聞かせたいだけである。おこがましくも私が目指している大衆文学は、そうあるべきだと、そこから始まるんだと、私は思う。
 20数年、他人の文章を世に出すためだけに懸命に編集者としてやってきた。今更、気取って芥川賞でも直木賞でもない。
 イチから始める人生の再スタートに、この「ケータイ小説」は相応しい気がする。
 まずはケータイを購入して、絵文字も使える程度に学習し、漢字も慣習も一切除外して「書く事、書けることの楽しさ」を、もう一度味わってみよう——これが50歳、今の決意である。
2008年10月17日号(vol.176)掲載
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# by sgraphics | 2008-10-18 08:16 | エッセイ